年賀状お年玉 切手シート交換してきました
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20190131Thu
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20190129Tue
13年9月の東レ・パンパシフィック大会の時だった。日本テニス協会の女子代表コーチだった吉川真司氏(40)は、日本登録で出場していた選手をくまなくチェックしていた。予選1回戦で敗れたが、1人の初めて見る選手に、目がくぎ付けになった。それが15歳の大坂だった。 「すごい才能だと思った」。すぐに当時の女子代表監督だった村上武資氏、植田実強化本部長に大坂の存在を報告。それ以来、日本に来たときは、味の素NTCで練習できるように取りはからうなど、地道な支援を続けてきた。吉川氏も代表コーチとして大会に派遣され、大坂が出場していれば必ずコンタクトを取り続けた。 大坂は米国テニス協会のジュニア大会に多く出場しているが、目立った成績は残していない。米国では完全に埋もれた存在だった。大坂一家は米国協会に支援を申し込んだが、大して取り合ってもらえなかったという。しかし大坂が16年全豪で予選を勝ち上がり本戦で3回戦に進むと、米国協会は強烈なアプローチを仕掛けてきた。 日米争奪戦の勃発だった。米国は女子代表監督が自ら乗り出し、多額の支援を約束したと伝えられる。だが大坂の父フランソワさんは、無名の時から娘を支援し続けた日本の恩義を尊重したという。だからこそ、いまでも大坂は日本で登録し続けるのだ。
吉川氏は「僕は代表コーチとして手助けしただけ。コーチはバイン氏」と遠慮する。確かに、あくまで大坂の専属コーチはバイン氏だ。彼の手腕が卓越した大坂の才能を開花させたことは間違いない。母環(たまき)さんが、日本の文化や料理を娘に伝え続けなければ、大坂自身が「私のメンタリティーは日本人に近い」と認識することもなかっただろう。ただ、吉川氏がいなければ、大坂が「日本人」として4大大会の優勝杯を掲げることがなかったのも事実だろう。【吉松忠弘】
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20190127Sun
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20190126Sat
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20190124Thu
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20190122Tue
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20190121Mon
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20190119Sat
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20190117Thu
錦織は「彼は調子が良かった。思っていたより素晴らしいプレーをしていたが残念なことが起きて、残念な終わり方になってしまった」と複雑な表情。「(勝ったが)自分は何もしていない。とても気の毒に思う。彼に称賛を送りたい」とグランドスラム初勝利をつかみかけた新進気鋭の若手を思いやった。
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20190115Tue
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20190114Mon
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20190114Mon
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20190111Fri
錦織優勝
去年 決勝までいきながら優勝できない試合が多くありましたので 近いうちに優勝するとは
思っていました
年初のツアーで優勝できたことは 今年の活躍が大いに期待できそうで本当に良かった
試合が始まってすぐにブレークされ 0-3 こりゃ~まずいと思いきやそこから猛追
逆転で1セットを取り 2セット目は取られたものの3セット目は快勝でした
メドジェーエフ強かったですけどねー 錦織すごいぃ
正月早々いいことがありました^^
「このゴミは収集できません」の本の中にも書かれていたことですが
だいぶ前にゴミ減らし運動というのが叫ばれ その時は集積所のゴミがかなり減ったなぁと感じていたのですが あれから数年経ってまたゴミが少し増えてきたような気がしています
贈答品などの包装もその頃は簡易包装でしたが また元に戻りましたね
箱菓子を開けると外側の綺麗な紙を剥がし 箱があり 中のお菓子も個包装 お菓子を取り出した後にはゴミの山
簡易包装でいいと思うけどね スウェーデンとまではいかなくても狭い国土の日本 考えた方がいいです
今日はこれで
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20190106Sun
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20190105Sat
20190103Thu
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20190103Thu
20190103Thu
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